くすりばこ

人類は愚かなものです 特に俺

鷲とハゲタカと傷と

フレズが両足を広げても
お空はちっとも飛べないが

飛べるバルチャーは私のように
地べたを早くは走れない いや走れるかもしれんわ 断言すんのやめとくわ 確信が無いわ

フレズが体をやすっても
きれいにゲート跡は消せないけれど

あの指ボロボロの罪場はフレズのように
上手にデザインナイフは使えないよ

罪場とバルチャーと それからフレズ
みんな違って みんないい

 

 

これ罪場が単なる下位互換だな?

妖刀と魔女

人里離れた、とある山の奥の奥。清潔感のある小さな研究所の一角に、彼女は繋がれていた。
『ちょっと…この…離してよ!』
乳白色の鎖によって動きを封じられ、ガタガタと体を揺らしながら放せーっと可愛らしい少女の声で叫ぶそれは、人間ではない。一本の日本刀・禍風である。ご丁寧にも『まがつかぜ 』と平仮名で銘が刻まれている。

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罪場響子という美少女について

罪場響子は美少女である。

ここでいう美少女とは単に「見た目の綺麗な女の子」を指すものではなく、しかしそれを説明することが少なかったが故に、響子は迫害を受け続けてきた。

 

彼女の定義する「美少女」とは、つまり「生き様の美しい人間」のことである。

 

シンデレラは可愛らしい容姿でありながら迫害を受けていた。しかし、本当に可愛かったのであれば、味方の一人や二人くらいは現れたのではないだろうか?

森の動物やら小鳥やらが人間基準の審美眼を持っていたとは思えない。ならばなぜ、灰かぶりは往々にして美しく描かれるのだろうか?

 

簡単である。彼女の美しかった部分は、心だからだ。

 

人相というのは心の持ちようによって変わってくるというのはあながち嘘ではない。終りの見えない大学生活に疲弊し、ストレスのたまった男が太り、目にクマをたたえるのはよくある話だ。

彼女を美少女たらしめていたのは、その美しい魂だったのである。

 

チャージマン研!というアニメーション作品をご存じだろうか。悪役として登場する”ジュラル星人”は、感情を捨てた邪悪な宇宙人として描かれていた。それを裏付けるかのように、彼らの姿も触手に一つ目、体にはマトのような模様が描かれた姿であった。それこそ、優しさを持たない彼らはアルファガンのマトくらいでしかなかったのだ。

 

魂の在り方と容姿は密接に比例する。それを証明するために、このブログでは私が美少女になれない原因を探っていきたいと考えている。

 

 

あと架空デュエマというものをやる予定なので、投稿した動画でわからないところがあったりしたらこのブログに質問をぶち込んでいただければどんどん答えていくぞ。