くすりばこ

人類は愚かなものです 特に俺

妖刀と魔女

人里離れた、とある山の奥の奥。清潔感のある小さな研究所の一角に、彼女は繋がれていた。
『ちょっと…この…離してよ!』
乳白色の鎖によって動きを封じられ、ガタガタと体を揺らしながら放せーっと可愛らしい少女の声で叫ぶそれは、人間ではない。一本の日本刀・禍風である。ご丁寧にも『まがつかぜ 』と平仮名で銘が刻まれている。

 「そういうわけにはいかん」
そんな異常を気にすることもなく彼女を制止したのは、白衣を着込んだ初老の男性。漫画なら真っ先に死んでしまいそうな、つまらない顔立ちをしている。禍風ならそうする。
「お前さんにはここで待っててもらわなくちゃならないんだよ、マガツカゼさん」
親しげに銘を口にするが、もちろん禍風と彼は知り合いではない。そのことが、よけいに彼女を苛立たせていた。
『さらっておいてお茶の一つも出さないなんて、ずいぶんと予算不足みたいね』
「もったいないじゃないか。この歳じゃ、どうせ到着するまでに飲み切れやしない」
『私が飲むって発想はないわけ?』
一応、人の姿をとれば飲めなくはないのだが、男性は知っていて言ったようにも見える。本当に嫌な奴だ。
しかし…到着?一体何が来るというのだろう。
いや。
そんなのはとっくに察している。
ただ、理解を拒んでいるだけだ。
『…神咲くんなら来ないよ』
そう言うと、男性はむっとしたような表情になった。してやったり。
「何故だい?」
『…もう、友達でも何でもないから』

まだ彼女が人間だった頃。日が暮れるまでくだらない話をしていた頃。神咲紗奈は、いつもそこに居た。
炎のように、記憶が蘇る。
異能の封印。そろわなかった足並み。自分が及ばぬ力への恐怖。解かれる封印。誰も信じられなかった。殺される前に殺すしかなかった。それでも、神咲くんだけは信じようと思った。停戦の申し出。駆け寄る私。

最後に見たのは、自分自身の血と心臓。醜く歪んだ、悪鬼のような魔女の笑顔。
綺麗な空だった。

(冤罪だっつってんだろ!お前を殺した覚えなんてねえよ!)

(姉貴だ。姉貴が全部白状した…って…煉太郎が…言ってた…って感じの動画が…携帯に動画が残してあった…)

(しょうがねえだろ俺が着いた時点で三人とも死んでたんだから!お前実の姉貴と元彼と親友が仲良く血だまりで倒れるなんて状況を!オレが!意図的に引き起こしたりすると思うか!?なあ!)

しかしてその肝心の魔女は、頭を抱えながらこんなことをのたまうのだ。


300年。ずっとあれだけが真実だと信じていた。
でも…神咲くんは、その真実さえも否定した。
ならばあれは何者?神咲くんの言うとおり、廉さんの人形?
本当に?
誰を信じればいい?
何が私を殺したの?
ねえ。
教えてよ。
あの頃みたいに、助けてよ。
全部ぶち壊して、「大丈夫だ」って言ってよ…

『神咲くん…っ!』

灰色の天井は答えない。

「噂通りの情緒不安定だね…餌にしたのは失敗だったか」

「そうだな、帰りにでもエサ探しに行こうぜ。カフェの割引券もらったんだよな」

男性の独り言に、誰かが応えた。
「っ…誰だッ!」
さっきまでの余裕な態度をかなぐり捨て、彼は灰色の天井と灰色の壁を見回す。しかし、そこには誰もいない…一体何者だ?
いや。
そんなのは、とっくに察している。
ただ、思ったより早すぎただけなのだ。
「オレかい?オレは紗奈ってんだ。現役の女子高生だぞ。見たけりゃ金払え」
声はおどけた調子で答えを出す。相変わらず完全に舐めきった態度だ。禍風は嘆息した。
「は…はは」
ついでに、男性の方も少しずつ余裕を取り戻していく。
「神咲嬢…その調子じゃ玄関で立ち往生しているね?」
「おっ?すげーな。どこにカメラ付いてンだ」
「なーに、ただの憶測だよ。この研究サイトには『不滅』のルーンをびっしり刻んでおいたのさ。君がどれだけの馬鹿力で攻撃しようと、決して崩れることはないんだよ」

紗奈は力学的エネルギーを自在に操る異能の持ち主。逆に言えば、物理法則の通用しない「魔術」や「魔法」といった代物には…!
『そんな…それじゃ神咲くんは』
「そうさ!君を助けに来ることはない!諦めて帰る以外の選択肢なんて始めからないのさ!」
そう。禍風は知らなかった。もちろん彼も知らされていなかった。
「なるほどルーンね…盲点だった。なら簡単だな!、、、、、、、

今の紗奈は、別に馬鹿力だけが取り柄というわけではないのだ!

王の名をもって明かす!祖は正当なる敵対に非ず! 王の名をもって命ず!祖は正当なる存在にあらず!
故に我が名に屈し、紐を解きて道を示せ! 故に我が拳に屈し、破滅をもってあがないとせよ!
弾けろ、悪意! 砕けよ、害意!

黄金の魔女は声高に叫ぶ!男性は見た。耳なし方一が如く刻みつけられた大量のルーンが、それを覆い尽くす黒い濁流に呑まれるのを。否。違う!あれは…
「魔法式だと!?」
それは人の波!血と言霊と悪意によって生まれた、亡者型の魔法式の群れだ!
「あの女…解呪と破壊呪文を同時に打ち込みやがった!」
「可愛い顔してるだろ?こんなナリだが人間やめてるんでね!」
紗奈が叫ぶ間にも、文字へと還元されていく亡者とともに、壁が粒子となって少しずつ、少しずつ、外気へと溶けていく。
「嘘だ…こんなことが…!」
何とか形を保とうとしていた扉を無慈悲に千の風にしながら、この大惨事の主犯はようやく姿を現した。
「おい、大丈夫か風月」
記憶にあるよりだいぶ伸びている、くすんだ金色の髪。中心でねじれたような独特のアンダーリム。そして露骨に盛ってあるスタイル!

黄金の魔女、神咲紗奈の降臨だ!

禍風…、もとい風月も、それに応える。それは彼女がまだ人間だったころの名前。
『…メンタル以外は至って健康だよ』
「ホントか?変な事とかされてない?」
『何さ変な事って』
「傷物にされたりしてねえか?」
言い方!
他愛もない軽口を叩き合っている二人だったが、大事なことを忘れていた。
「ふざけるな!ふざけるな!簡単な測定だって言ってたじゃないか!すぐ帰ってこれるって言ったじゃないか!畜生…畜生…!」
そう、完全に戦意を喪失して慟哭するばかりのこの初老のおっさんである。
「…なんかごめんな?おっさん」
「ごめんも何もあるか!お前さえ…お前さえこの研究所に来なければ!今夜はちょっと贅沢な夕食が食べられたんだ!」
キレ散らかすおっさん。逆にどんどん冷静になってきた紗奈。
「…でも、見る限りオレの強さを測るとかそんな感じだったんだろ?風月をさらう必要はあったわけ?なあ?」
「…」

「答えろよ。答えによってはつむじに夕飯奢らせてやるから」
おっさんは目をそらし、何も答えなかった。ただ素直にこうべを垂れ、「好きにしてくれ」とその薄ら禿で語るのみであった。
紗奈は何も言わず、ただ後頭部に手刀を振り下ろすのみであった。ただしスピードは5倍増し。命に別状はないだろうが、きっとしばらくは目を覚ますこともないはずだ。

さて、あとはここから脱出するのみである。
風月を縛る鎖をちぎりながら、紗奈はなぜか「くくっ」「くふふ」と笑い声を漏らしていた。
『…どうしたの神咲くん、そんな嬉しそうな』
「だってお前見てみろよ。外」
まだ若干残った封呪付きの鎖を強引に振り落とし、ヒト型に戻った風月。台によいしょと腰かけ、外を見た。
『これって…』
明らかに横の金髪女になぎ倒された木々。そして…
木々に隠されていたのであろう、空。
青い青い、空だ。
「…あれから考えたんだ」
珍しくしんみりした様子の紗奈。
「直接手を下したわけじゃないにしろ、『普通の人間に戻ろう』って言ったのはオレだ。だから、やっぱりオレが悪いんだと思う」
『…』
「でもさ、やっぱり風月とはまた仲良くなりたいわけよ」
…それで、この景色というわけだ。
「あー…今はこれくらいしかできねえんだ。金がなくてさ」
そういって頭をボリボリと掻く紗奈と、記憶の中の悪鬼を重ねようとした風月だったが。
(いや…いやいやいや)
駄目だ。
『まぁ…また友達になってあげてもいいけどさ』
「ホントに!?」

綺麗な空である。